3 ヘビー級ボクサーの卵たち(酒井公高の場合)

酒井公高の場合。

酒井は仮合格者のなかで最も高い評価を受けた。
オーディションの審査でもあいつはスジがいい、という意見が多かった。
しかもまだ十七歳である。

クリッとした目が笑うとタレて、あどけない顔になる。

酒井はオーディションを名古屋で知った。

スポーツ新聞でオーディションの告知を見た知り合いが「お前、コレ受けてみたらどうね」と教えてくれたのだ。

「ボクシングは中学の頃から好きでしたね。キンサシャ(キンシャサ(Kinshasa)は、コンゴ民主共和国の首都)のアリ対フォアマンの試合のビデオを観たのがきっかけだったかなあ。
ボクシングで食べていければいいなとは思っていたけれど、現実的には重いクラスは国内で試合も組めないし、無理なんだと半分あきらめてもいたんです。オーディションは、ああこれはチャンスだと思って、合格するかどうかは分からないけど受けるだけでも受けてみようと思ったんです」

酒井は高校を二年で中退していた。

鳶職のバイト暮らしであったから、ボクサーの道を選ぶにあたってはなんにも問題はなかった。

「別にカルク考えていたわけじゃないけど、僕、すごいキタナイ格好できたんですよ。それがオーディション会場は立派なホテルだし、なんかマスコミの人は沢山来ているしで、恥ずかしかったです。ジャージとシューズだけ持って、参加しました。リーチ測って、健康診断して、周りの人を見たら、みんなイイ身体してるんで、大丈夫かなって思いましたね。僕の順番は六番目だったですかね、ミット打ちですでにバテましたから、こりゃあダメだと思いましたよ」

 でも受かった。

酒井がミット打ちをした時、場内がどよめいた。
佐藤をはじめ審査員のほとんどが、チェックシートに〇印を付けた。

有望、である。

その前に登場した参加者と比べてパンチの音も、力強さも明らかに違っていた。
酒井は、仮合格でもボクシングができることが嬉しかった。
その日のうちに名古屋に帰って母親に「ボクシングのオーディションに受かったから向こうに行く」と伝えた。

酒井の母の沢子は、

「受かった、と言われてもはじめは「ああ、そう」みたいなもので、公高から実はこれこれこうだからと詳しく説明されて、ようやく事態が飲み込めたんですよ」

と笑いながら言った。酒井は母にオーディションを受けることを伝えていなかった。
合格した夜に、向こうでは部屋も借りてもらって給料ももらえるし、迷惑はかけないから、あと何年かは好きなようにやらせてくれ、という話をした。

沢子は反対はしなかった。
酒井は高校を辞めた後、バイトをしながら地元のボクシングジムにわずかの間だが通ったことがある。

「高校も、せめて卒業はして欲しかったですけど、本人の意志が固かったですからねえ・・・。親の立場からちょっと格好よく言うとですよ、ボクシングによって、好きな道で一生懸命やる事で、あの子が輝ければ素晴らしいと思ったんですよ。それなら名古屋でバイトをしながら続けるよりも、向こうで恵まれた環境で専念できる方がいいと。本人もそれは喜んでいましたから、しばらく見守ろうと思いました。世の中の親御さんからみれば「あそこは馬鹿なことやらせてる」と思われるかも知れませんが、あの年齢で、まだ自分の進むべき道を見つけられない子もたくさんいるわけですから、幸せではないでしょうか。ひとつの大きな挑戦ですから、チャンピオンになれるかどうかは分かりませんが、きっと得るものがあると思うんです」

沢子は女手ひとつで酒井と兄の二人を育ててきた。

八年前にクリスチャンとして洗礼を受け、酒井自身も三年前に洗礼を受けた。

沢子はひと息ついて、クリスチャンらしくこうつけ加えた。

「ボクシングは危険だと言う人もいます。でも私たちが生きている毎日にもどんなトラブルがあるか分からない。病気や怪我の心配よりもまず、心を満たして生きていくことの方が大切です。
 そして神様は彼にとって最善のことをしてくれるはずです」