8.プロテストⅠ

年が明けて一月十日、日本ボクシングコミッションから三人のプロテストを二月四日に行うという通知があった。

ここ最近、プロテスト受験希望者はかなり多く、申し込みから受験まで約四ヶ月ほど待つのが当たり前になっている。

全日本ボクシング協会に所属するボクシングジムは、東日本地区、北日本地区、中日本地区、西日本地区、西部地区とに区分され、プロテストもそれぞれの地区で行われる。

東日本地区には関東のジムが名を連ねておりその数はゆうに百を超える。

それだけプロテストの申込者も多いのだ。かつての月一回ペースから現在は月に三回ペースで行われているのだが、それでも受験が追いつかない状況だ。

テストは基本的に後楽園ホールで興行のある日に行われる。

二月四日は東洋太平洋Jr・フェザー級のタイトルマッチの興行がうたれることになっていた。テストを受けるのは相模原ヨネクラのヘビー級選手だけであった。

通常はほかのジムの同クラスの選手とスパーリングが行われるが、相模原ヨネクラのほかにヘビー級の対戦相手がいないので、身内向士でスパーリングを行うという特例が認められたのだ。

「おーい、テストの日が決まったぞ」。

春日井が四人を集めた。

福田はアマチュアでの戦績があるため書類申請するだけでライセンスがおりる。

受験が必要なのは市川、浅利、酒井の三人である。

「何しろこれをとっておかないとはじまらないからな、今の調子でやっていけばまず三人とも受かると思うけどな。一人だけ落ちちゃうのも格好悪いから、そんなことにならないよう、あとひと月、気を入れてやっていこう」

その日、市川と福田、浅利と酒井がそれぞれ四ラウンドのスパーリングを行った。

市川は気合いが入っていた。

市川は、プロテストはそんなに意識しても仕方ない、と思っていたが、それでも年齢のことをまったく考えないわけではなかった。自分はとにかく一発で合格しなければいけない、という気持ちが強くあった。

市川はスパーリングでかなり押し気味の展開をした。

福田は市川のようなファイタータイプが好きではない。

アメリカで走り込んできたせいかスタミナは福田のほうがあったが、市川は疲れながらもストレートのボディ、フック、ワンツーとしつこく手を出してきて、なかなか自分の距離がとれない。

そしてパンチをもらうたび、おかしいな、といった感じて首を振った。

マイアミから帰ってきてから福田には、自分がほかのヘビー級の選手よりも数段強いんだ、という意識がなくなってきていた。

それを認めることはプライドが傷ついたが、練習をはじめると、ほかの三人が予想以上にうまくなっていた。向こうにいたときも電話で、みんなうまくなっているぞと聞いてはいたが、これほどまでに強くなっているとは思っていなかった。

一番若く成長いちじるしい酒井はもとより、この日のように市川にもスパーリングで優位に立たれてしまうことがあった。

これはウカウカしてられないぞ、そう思った。春日井にも、「お前が思っているほど差はないぞ、死に物狂いでやらなきゃスグに追いつかれて追い抜かれるぞ」

と言われたが、素直にうなずくしかなかった。

毎日繰り返し同じ基本練習をするんじゃなくて変化をつけようと、春日井は定期的に普段と違う練習を取り入れることがあった。たとえばメトロノームを使った練習もそのひとつだった。ジムのリングは床から三十センチほどの高さがある。みんなこの前に一列に並び、メトロノームのチッチッという音に合わせて、左足をリングに上げ、右足を上げ、同時に右ストレートを出す。チッで左足、チッで右足、そして右ストレート、チッで左足、チッで右足をおろす。

それを数ラウンド続ける。

「これはなんのための練習なんですか」と市川が聞く。

「パンチを打つときに、左の場合は左足、右の場合は右足を蹴る力、バネを使うだろう、その力とタイミングを身につけるものなんだ。パンチカをつけるために俺が高校時代に自分で考えた練習方法だ。これは効果あるぞ」

また練習後には、反射神経を養うためにトランプの「イライラ」を二、三十分行うこともあった。

「イライラ」とは二人向き合い、同数のカードが配られ、机の上に出された二枚のカードに続き番号カードをおいていく。

手もちのカードが早くなくなるのを競うゲームだ。

テストの一週間前には合宿をしよう、ということになった。

体力面を鍛えてスタミナをつけようという目的があった。

一月二六日から二八日までの三日間。

四人して横浜本牧の春日井の自宅に寝泊まりした。

春日井の家から三キロほど離れたところに、根岸森林公園がある。

公園を囲むようにおよそ一・三キロの歩道があり、近隣の人たちがジョギングコースとして利用している。

また公園内は芝のうえ、小さな丘などアップダウンが多いので、走るにはもってこいの場所である。

合宿は、次のようなメニューで行われた。

六時   起床

六時半 森林公園着

・準備体操

・公園十周およそ十三キロ

・シャドウ ニラウンド

・腹筋足上げ、足クロス、ワンセット百回

・ジャックナイフ百回

・リターンダッシュ  一分×三回.公園内の丘のぼり

・シャドウ 三ラウンド

・体操

公園の十周はただ走るだけでない。

一周のうち三つのポイントで百メートルのダッシュを入れる。

ラッシュに耐えられる心肺能力を身につけるためだ。

さらに横向きに足を交差させながら走るポイントが二つ。

これはパンチを打つときの腰の回転をスルドクするための練習で春日井が現役時代こうして走っていたのを取り入れた。

ただ単にジョギングで十三キロ走るよりかなりキツかった。

九時に午前の部が終了して、朝食の後は午後の練習まで休憩。

十四時に再び森林公園へいき、朝と同じメニューをこなした。

夕方、日が暮れかける頃練習が終わる。これだけ走り込むのはジムへきてから初めてのことだ。

四人ともかなりへばった。

「これだけ走ったって、テストの時は疲れるんだから、多いってことはないんだぞ」

基礎体力が一番ある浅利も練習と本番は違う、ということは分かってきていた。

この間、洋介山とスパーリングした時も、ジムでのスパーリングよりはるかに疲れた。

デビューをしていないのだから当たり前だが、練習と試合の違いを身体で知っているわけではなかった。

プロボクサーとして四回戦をフルに戦うために必要な体力がどれだけのものか分かっていないのだ。

十二分間動く体力と、戦う体力は違う。試合は当然相手がいて、緊張感が疲労を増幅させる。

そして駆け引きがあり、相手の術中にはまればその流れを取り戻すためにさらに体力と精神にプレッシャーがかかる。

「試合のツラサっていうのはよ、たとえばフルマラソンを走って、ゼエゼエ疲れているところに相手が殴りかかってくるようなもんなんだ。そりゃ、倒れる方がラクだよ。
でもそこでパンチを出せるかどうか、向かっていけるかどうか、そこで勝敗が決まるんだ」

浅利は合宿の最中に春日井から言われたこの言葉がやけに心に残った。

毎晩、食事の後は居間に集まって最近のスパーリングのビデオを観た。

春日井が、それぞれポイントごとにアドバイスをするのだ。

「市川、攻撃はなかなか良くなっているじゃないか。左を出すときの右のガードはできてるんだが、右を出すときに左のガードが下がるクセがあるな、ホラ、ここだ、なっ」

「酒井は全体的な動きはいいな。パンチにもう少し正確さが欲しいところだな。市川が入っできたら、アッパーで起こしてから攻めるんだよ」

「福田、お前のクロスは円を描いてるな。分かるか、だから相手に読まれてしまうんだ。対角線上にまっすぐ出すようにな。それとガードはアゴの下では意味が無いぞ、高校のときは背の低い選手が相手だったからそれでも防げたかも知れないが、これからはお前と同じか、背の高いヤツを相手にするんだから、これじゃモロにパンチを食うぞ」

「浅利はみんな大振りすぎる。ガードが甘くなったときにパンチをもらっているだろう。それにまだベタ足になってるぞ。もう少しフットワークを使え。お前は目がいいんだから、相手のパンチを良く見て、自信をもってダッキングしろ」